社長コラム

Column From The President

第6回コラム(本当に強いのは、「動」ではなく、「静」の力である)

みなさんは、「元気が出る」といった言葉を聞いて、どういうものをイメージされるでしょうか。おそらく、行動的で、活発で、エネルギッシュでパワフル・・・といった「動」のイメージをされるのではないでしょうか。確かに一般的に言われる「元気」とは、そういったことを指すのかもしれません。しかし、わたしたちが考える、自分力というものは、そういったものではありません。自分力を強めるということは、「動」ではなく「静」の力なのです。つまり自分力とは、一般的な元気が出る力ということではなく、落ち着きの力。本当に強いのは、「静」なのです。

 

静寂とは、研ぎ澄まされ、すべてを受け入れること

私事で恐縮ですが、わたしは若い頃、数々の武道や格闘技をやっていました。そこでも、本当に強い状態というのは、「静」でした。動かないことが一番強いのです。静の状態とは、穏やかで静かな水面のような状態です。そういう状態のとき、人は、すべてのアンテナが張りめぐらされ、あらゆるものが見えるようになります。研ぎ澄まされることで、すべてを受け入れられる、本当の集中力が生まれるのです。静の力が芽生えると、相手が十の力で向かってきても、それをそのまま利用し、一の力でも相手の十と足して十一の力を持ってその相手を跳ねとばすことができます。ところが動の世界というのは、対等の力がないと相手には勝てません。こちらが九の力しかなければ、それだけで負けてしまうのです。いま話題のサッカーでも、神がかり的なシュートを決めた選手は、その瞬間にゴールへとスーッと抜ける一本道が見えると言います。相手選手、味方選手、キーパーの動きが全てスローモーションのように感じられ、その全てをプラスに利用することで、自分は目の前に開けた一本の道筋どおりに落ち着いてボールを放てばいいといった状態になるのです。見えれば身体がそのとおりに自然に動いてくれます。余裕が生まれるのです。一方「動」は、荒くれだった波のような状態です。苛立ちはまわりを見えなくしてしまう。そして人は焦れば焦るほど、どんどん無駄な動きが増え、何もかもが思い通りにいかなくなるのです。

 

本当のリラックスを得ることで、自分力は高まっていく

静の力というのは、リラックスすることで生まれます。このリラックスという言葉も、一般的には緊張感のないダラリとした無防備なイメージがありますが、本当の意味のリラックスは、荒れた波を沈め、すべてが解き放たれた静寂を得ることで、自分の本来の力を発揮できる状態になることを言うのではないでしょうか。波が穏やかであるということが大切なのです。わたしたちが言う、自分力を高めるということは、この「静寂」を取り戻すことです。日常生活や環境ストレスで荒くれだった波を穏やかにし、自分の本来の力を取り戻すことです。人は、静を取り戻したとき、本当のパワーが出るのです。この仕事をしていて、世界中のあらゆる方たちとの出会いのなかで、本当の強さとは、心にあるのだ、根底にある「考え方」といったものなんだと思い知らされます。精神界は「静」から来るのです。だからこそ、一言で「自分力」と言っても、そこには底知れない力があると思わざるを得ないのです。